利尻山・礼文島山行報告
NO.
日付
山名
参加者
会員 障害者(視障)
2名
健常者
6名
1
平成16年7月1日〜4日 利尻山・礼文島 合計 10名 会員外 障害者
1名
健常者
1名
 

コースタイム:
7/2 利尻北麓野営場(4:25)…4合目(5:30)…5合目(6:20)…6合目(7:00,7:15)…
   第2見晴台(8:40,9:00)…長官山(9:25,9:45)…長官山避難小屋(10:00,10:15)…
   9合目(10:45)…利尻山山頂(12:05,12:45)…9合目(13:40,13:45)…
   避難小屋(14:15,14:25)…6号目(16:30)…利尻北麓野営場(18:40)
7/3 知床(12:30)…桃岩荘(16:30)

天候:
7/1 晴れ
7/2 快晴
7/3 晴れ
7/4 曇り

★7月1日
 朝方雨だったが、私たちが稚内空港に着く頃は、すでに晴れていた。波が高くフェリーは揺れに揺れたが、フェリーの中からこれから登る利尻山が、堂々と海から標高差1700mでそびえ立っていた。

 フェリーを下り、民宿に電話をして迎えに来てもらう。クーラーが入っているのではないかと思うくらい、肌寒い。民宿に着くと、すぐに夕食となり、バスで利尻富士温泉まで連れて行ってもらい、さっぱりとした。ただ、ちょっとあわただしい。民宿で乾杯をして、明日の英気を養い、早めに床についた。

★7月2日
 今日は、利尻山を目指す日だ。3時過ぎに起きて、4時に民宿の車で送ってもらう。昨日は、4時に出たいと言ったら、「何、4時?」と、少しにらまれたが、今回泊まった人たちの中では1番はじめに送ってもらうことになった。

 車に乗って走り出すと、すぐに日の出となった。北国の朝は早い。
 鴛泊コースの登山口の利尻北麓野営場で民宿からもらった朝食を食べ、出発する。コンクリートに固められた道を少し歩くと、甘露泉に到着。ここから登山道となるが、まずは滑りやすいながらも、傾斜の緩い道を登っていく。
 4合目は、野鳥の森だ。傾斜は次第に増してきて、5合目を過ぎたころから、ふもとの町や礼文島が見えるようになる。6合目は、景色の素晴らしい展望台だった。遠く、樺太まで見えていた。

 傾斜はさらにきつくなり、七曲がりの7合目に到着。先頭を行くYさん、Oさん、NRさんは、ここで休まず、さらに先に行ったようだ。私たちも先を急ぐ。
 第2見晴台に着くと、ここにも先頭グループはいなかった。きっと8合目の長官山にいるのだろう。私たちは少し休憩して、長官山を目指す。

 長官山で、全員合流する。長官山からは、利尻山の山頂が、ひときわ高く急傾斜でせり上がっている。ここで、MさんとNTさんが、避難小屋までにすると言う。行っていけないことはないが、みなさんに迷惑をかけまいとする配慮に感謝する。

 山頂を目指すグループは、避難小屋からさらに登り出す。9合目付近では、エゾツツジやミヤマアズマギクが咲いていた。9合目を過ぎると、道は小さな火山岩がガラガラと積み重なっていて、足下が滑りやすくなる。また、風が非常に強くなり、目にゴミが入って痛い。上から、大勢の人たちが下りてくる。私は、Oさんをサポートしながら登っているので、行き違いに少し苦労した。ガレた道を登り、岩溝のようなところを過ぎると、山頂が目の前に迫ってきた。

 ほぼ予定時間の12時5分、無事に山頂に到着した。山頂には、すでに人は少なく、また思ったよりも風が弱く、登頂を喜び合う。今回、参加せず、東京でみんなの無事を心配しているMTさんに電話を入れ、喜びを分かち合う。
 山頂付近には、エゾツガザクラやイワヒゲが咲いていた。また、礼文島や樺太と共に、北海道本島もよく見える。大雪山は、雲がかかっていたが、暑寒別岳方面はよく見えた。ここは利尻山の北峰だが、南峰やろうそく岩、そして沓形コース方面もよく見えていた。

 ほぼ予定の時間とは言っても、視覚障害者の人がいると下りに時間がかかる。離れがたい山頂をあとにして、下山にかかる。このコースは、足下が悪いが、落ちてどこまでも転がるようなところがないのがありがたい。Oさんをサポートしながら、できるだけ滑らないように、慎重に下る。しかし、下りは長い。ようやく9合目にたどり着き、ガレた道から解放されたが、Mさんたちが待つ避難小屋まではかなりの時間がかかった。
 避難小屋の手前で、ノゴマが梢で軽やかなさえずりと美しいのど元の赤色を披露してくれた。できるだけ近づいて、写真やビデオ撮影をさせてもらう。

 避難小屋で、Mさんたちと合流し、携帯トイレで用を足したりしてから、下山にかかる。どこまでも続く長い下りを、サポートを交代しながら下る。6合目が近づく頃、頭上にヘリコプターが近づいてきた。何かあったなと見ていたら、下で赤い布を振る人が見えた。すると、ヘリコプターからするすると二人の人が降りてきた。横を通り過ぎるとき少し見てみると、左足を怪我しているようで、足を固定していた。

 私はNTさんのサポートをしながら、先頭を下ってきた。しかし、後方グループとの差が開いたため、5合目で待って合流しようと思った。後方グループに、その旨伝えると、彼らは、今5合目にいるという。私たちのいるところは標高約600m。昭文社の地図では、5合目は約500mだ。後方グループは先頭を追い抜いていないから、どう考えてもおかしいと思ったが、後方グループは5合目の看板の前で電話をしているという。はっきりしないので、4合目で合流することにして、下降を開始する。どうも、私たちは5合目の看板を見落としてしまったようだ。それにしても、地図と現地の違いは困ったものだ。

 4合目で、女性陣に先に下ってもらい、私が待って、後方グループと合流する。途中、甘露泉で水を飲んだり靴を洗ったりして、登山口の北麓野営場で、民宿の車に乗せてもらい、利尻富士温泉に直行した。

★7月3日
 疲れ切った昨夜は、みんなほとんど飲まずにぐっすり休んだ。今日は、利尻島から礼文島に渡り、桃岩展望台コースを楽しみ、ユースホステルの桃岩荘におじゃまする予定だ。

 香深港には、桃岩荘の人が待っていて、私たちの荷物を桃岩荘まで運んでくれる。海鮮丼や三色丼を食べ、バスで礼文島の最も南にある知床に向かう。知床から幅の広い道を緩やかに登りはじめる。登るにつれ、たぶんレブンソウだと思えるマメ科の花が咲いていた。それと、こちらのウグイスは、本州のウグイスと少し違う鳴き方をしていたようだ。桃岩荘の人から貸してもらった案内図に書かれていた「秘密の花園」に行ってみる。ここは、イブキトラノオが一面に咲き、素晴らしいところだ。レブンシオガマやエゾカンゾウが咲き、ぜひ見たかったレブンウスユキソウも咲いていた。また、鳥は、ノビタキやノゴマ、コヨシキリが見られた。

 秘密の花園を過ぎ、元地灯台を過ぎると、左側に日本海がよく見える。右手には利尻富士が聳え、素晴らしい展望だ。そして、私たちの周囲やこれから向かう方向は、高山植物が咲き乱れ、素晴らしい草原が広がっている。レブンキンバイソウやエゾスカシユリ、ハマナス、コウリンタンポポなども咲いている。

 桃岩荘の案内図に書かれていた大倉山から、桃岩荘に向かって、大声で叫ぶと、旗を振って大きな声でコールが返ってきた。ここから、アップダウンを繰り返しながら、桃岩の展望台まで、お花畑の中を行く。展望台で、駐車場のトイレに行くグループと近道をするグループに分かれて下る。私は、近道を来たが、待っている時間が寒くてたまらなかった。
 トイレ組が帰ってくると、近くにセンダイハギが咲いているというので、見に行くことにする。

 合流地点から、さらに下り、車道に下りて、礼文島に一つしかないというトンネルをくぐって桃岩荘に向かった。
 桃岩荘では、「ただいま」と言って中に入る。働いている人たちは、「お帰りなさい」と言って迎えてくれる。
 宿舎の中で、いろりの周りに集まって派手な館内の案内を聞く。夜は、ミーティングだが、歌と踊りの普通では味わえない楽しいものだった。館内禁酒と言うことで、飲めないことだけがつらかったが、とても暖かみのあるユースホステルだった。
 日の入りの時間、ミーティングが中断されて、みんなで外に出て見る。私とYさんは、日が沈む時、水平線に沈むのではなく、水平線の上にある空や海よりも濃い確かなラインを引く地平のようなものを見た。桃岩荘の人は、ここからロシアが見えたという話は聞いたことがないと言うが、帰って地図を見てみると、ロシアだったはずと確信した。
 夜、寒かったが外に出て、西の空に輝く木星と天頂に横たわる天の川、その中を飛ぶはくちょう座、そしてカシオペアと北極星、北斗七星などがとてもよく見えた。また織姫星のこと座のベガが輝き、北斗七星のひしゃくの先をのばしたところにあるオレンジ色に輝く1等星アルクトゥルスもひときわ明るく輝いていた。

★7月4日
 今日は帰るだけだが、桃岩荘で紹介していただいた元地にある地元の漁師さんがやっているうに丼を食べられる店に行く。昨晩アルコールを飲めなかった反動で、みなさん朝からビールを飲み、多くのつまみを頼んだため、店の人もビックリしていた。しかし、うに丼はやはりうまい。
 うに丼を食べたあとは、地蔵岩を見に行く。海岸から一気に1枚の手のひら状の岩を突き立て、もう片方の岩は山からすとんと落ちて、両方の岩が手のひらを合わせているように見えるところから、地蔵岩と名前が付いたらしい。

 元地のバス停に戻り、瑪瑙海岸で瑪瑙を探したり、売店で買い物をしたり、花の写真を撮ったりして、バスの時間を待つ。
 香深に着いて、桃岩荘に運んでもらった荷物を受け取り、フェリーに乗り込む。フェリーが動き始めると、桃岩荘の人たちが、昨日と同じように、みんなで並んで歌と踊りで見送ってくれた。4日間のいろんな思い出を詰め込んで、最北の島をあとにした。

記:網干

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